音楽家の坂本龍一さんが71歳で死去。日本を代表する音楽家として知られ、YMOで活躍した後は映画音楽やソロ活動で多数の作品を発表した。20年6月に直腸がんと診断され、全身全霊で取り組んだ2021年12月のピアノコンサートが最後の演奏となった。闘病生活を送りながら、音楽を捨てることなく創作を続けた。
引用元1
音楽家であり俳優でもあった坂本龍一さんが、71歳で亡くなられたという報道がありました。
坂本さんは、有名なバンドイエロー・マジック・オーケストラの一員として活躍し、音楽を通じて世界的にも有名な存在になりました。そして、ハリウッド映画にも多数出演し、作曲家としての才能を開花させました。その間、14年に中咽頭がん、20年に直腸がんの診断を受けながらも、音楽作りに情熱を注ぎ続け、昨年にはピアノコンサートを配信していました。
坂本さんは、凄絶な闘病生活の中でも、家族や音楽仲間に支えられ、最後まで音楽を愛し続けた偉大なるアーティストだったと思います。
ここまでの人生をかけて、彼が残した芸術作品は、これからも誰もが聴き続けることができます。芸術は人生よりも長く、坂本さんが残した素晴らしい作品は、その言葉通りの意味を持っていると思います。
坂本さんのご冥福をお祈りいたします。
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やはり安楽死というのも考えていってほしいと思う。人生の最後がそんなに苦しいものである理由がどこにあるのか?もちろんガン末期など医師の判断は厳重にした上で…
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全身チューブで身動きがつかず、ものも食べられない、水も飲めない状態で、意識や痛み痒み、暑い寒い、苦しいだけはあって、回復することはないと分かっていながら、何ヶ月もエンドレスに続く孤独と絶望。長い長い夜は、無音と暗闇。昼は、言わば自由を奪われた監禁、拘束。
機械的な延命技術が進歩すると、自分もいずれはこんな閉所狭所暗所の拷問状態で最期を待つのだろうかと思って恐怖。安楽死の選択肢も考えて欲しい。
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安楽死の選択肢は絶対的に必要。余命長くないのがわかっているのに、死なせてほしいと思う程に苦しい思いして延命する事に一体何の意味があるのか…。
安楽死否定派は自分が同じ立場になった時の事を考えてみてほしい。
自分じゃまともに身動き出来ず、食べる事も出来ない。治療しても僅かに命が延びるだけ。そんな状態で苦しい思いしてまでただ過ぎ去る日々を過ごしたいですか?
本人が望むのなら医師の判断の元で安楽死という選択肢を用意するべきだ。
安楽死は殺人と言う人もいるが、そのような状態で生かす事は拷問ではないだろうか。
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延命治療など本人が望まないのであれば楽にしてあげて欲しい。日本は安楽死に手を貸すと医師が罰せられる。臓器移植にしろ高額で海外に渡る日本人が多い中、私も最期はスイスに行こうと思う。人生の最期くらい、精一杯生きたのだから楽に逝きたい。
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この記事においては
教授の偉大なアーティストとしてを語るより
そのやりようのない末期は考えさせられる
緩和ケアと言うのかな
もちろん経験がないのでどれほどのものかは知らないが
このような医療処置はしていたのでしょうかね
されども「つらい。もう、逝かせてくれ」
無痛ではないと想像されるが
やっぱり手の施しようがない状況なのであれば
尊厳死の選択がベストなのかと思われる
この日本も賛否両論なにかとあるだろうが
さすがにこの時代にもなるのだから
そろそろもう少し有意義に進んでは欲しいもの
素敵すぎる音楽には
ただただそのリアルタイムを味わえたので
ありがとうとしか言いようがないでした
合掌
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坂本さんが伝えたい1番のことは安楽死についてではないことは重々承知でコメントします。
何らかの理由で、期限を切って人生に終止符を打つ。それは自殺とは全く別物として、例えば病気。もうこの辺で…と本人が正しく理解できる状況で人生に期限を設けて終止符を打つ。これは、突然交通事故や病気で意図せず人生の終りを迎えるよりも、せめて幸せな終わり方ではないかと思っています。
何事も線引が難しいのは理解しますが、多様な価値観も実現できる世の中であってほしい。
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近年では医療界でも最終に向けて本人を中心に、家族や、医療や介護などケアチームが、何度も話し合いを行って、本人による意思決定を支援する「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」が重要視されていますが、それでも安楽死は日本では認められていない。
くだらない口論で国会の開催日を潰すより、国民のためになる議論を政府や議会も行って欲しい。