元TBS記者で日本人初の宇宙飛行士の秋山豊寛さん(80)は、山奥で農業をしている。
宇宙飛行士候補に選ばれた諏訪理さんを見て、「眠っていた種が芽吹くようでうれしいね」と語ったが、宇宙に対しての興味はなく、「宇宙に行くくらいなら、シルクロードの旅をしたり、有名な滝なんかを見たりしたいよ」と話した。
引用元1 引用元2
日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんが、宇宙飛行士候補について語った記事がありました。
驚くことに、秋山さんは宇宙飛行士候補についてニュースを見ていなかったそうです。宇宙に対する興味が薄れたのでしょうか?
ところが、再度宇宙に行きたいという記者の質問には、「宇宙はもう見たから、シルクロードの旅をしたり、有名な滝を見たりしたい」と笑い飛ばされました。宇宙から見た地球が美しかったそうで、自然を生で感じたいという理由で農業に従事しているそうです。
「人の一生は100年だが、地球は生まれて46億年。宇宙で過ごす中で、時間の単位の測り方が変わった。俺は俺なりの時間感覚で生きていきたい」と語った秋山さん。彼の生き方に、何か感じるものがありますね。
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お元気そうでよかった。わたしも学生時代に、秋山さんが宇宙へ行ったその様子をテレビや新聞切り抜いてかじりついて見ていました。違う道にも一度は行きましたが今は天文台、プラネタリウムのお仕事をしています。秋山さんの知らないところで、たくさんの芽が出て花を咲かせたり地の中で自然薯のように支えている人もおそらくいると思います。ユーモア健在、秋山さんこれからもお元気で。記事にしてくれてありがとうございました。
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秋山さん思い出します
ミールの日本通過時間がテレビか新聞かに出てたので見た記憶があります
名前は忘れましたがバックアップの女性の方が直前で盲腸になったりというのも印象深かったです
日本人初の宇宙飛行士は毛利さんになるはずでしたがチャレンジャー事故の影響でシャトル計画に遅延が生じたため
棚ぼた的に秋山さんが先になったとか
秋山さんは前澤さんと同じでTBSがお金を払ってソユーズに乗せてもらったお客様なので
日本の宇宙関係者は秋山さんを初の宇宙飛行士と呼ぶ事に抵抗があるとか
面白い日本人宇宙飛行士の黎明期の歴史です
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アメリカの宇宙開発で毛利さんや向井さんが日本人宇宙飛行士に選ばれた同じ頃に、ソ連のソユーズにこの方ともう一人が「日本人初」で宇宙へ行きましたが、世論はちょっと冷ややかだった気がします。毛利さんらは厳しい選考を経て、各自の研究テーマで無重力空間での様々なミッションを行う研究者としての飛行でしたが、秋山さんらはTV局のバックアップで記者としてソユーズに乗せてもらったという印象だったからでしょうか。間もなく退職されたことは知られてましたが、今は地球の大地に根ざしていらっしゃるんですね。
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秋山さんは仕事の一環として行っただけだからね。
子供の頃から宇宙に憧れていて、念願が叶ったというわけでもないので他の宇宙飛行士のような回答を期待するのは間違っていると思うよ。
それより、ジャーナリズムの観点からソ連崩壊直前に、同時に日本もバブル崩壊直前下の出来事だったわけで、ソ連邦下でいわば日本人として最初で最後の宇宙飛行士として行った意味や現在のウクライナ戦争について聞いたほうが意義のある回答をしてくれたかもしれない。
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そう言えば当時大きなニュースになりました。
お元気そうで何よりです。
しかし人は極端な経験をすると、正反対の道を進むことがよくあるようです。
アポロで月面着陸した飛行士は宗教家になりましたし。
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日本人初の宇宙飛行士はという問いに「秋山さん」と直ぐに答えられない人もいるようですね。当時チャレンジャー号爆発事故でNASAの計画が遅れ、結果として民間人のTBSの秋山さんが先に日本人初の宇宙飛行士になってしまったという経緯がありました。当時の日本政府・科学技術庁や宇宙開発事業団はとても悔しい思いをしていたことでしょう。因みに秋山さんはソ連で宇宙飛行士の資格を取得していますので正真正銘の宇宙飛行士です。
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秋山さんの生き方は秋山さん自身しか作れないから自分自身と向き合って決めた生活プランは立派ですし、他人から干渉される事は無い。
当時の日本人宇宙飛行士は毛利さんがJAXA認定第1号で話題でしたがTBSが旧ソ連と提携して秋山さんが日本人初の宇宙飛行士として旅立った時はもの凄いニュースでしたし、それから次々と日本人宇宙飛行士が旅立ったので日本の宇宙開発事業の先駆者でしたね。